倫理運動を創始したのは、亡くなるわずか6年前のことでした。丸山敏雄先生の生涯の大半は、教育者・書家・歌人として、そして幾多の試練を越える歩みとして費やされています。
北九州の寒村に生まれ、師範学校を首席で出て教壇に立ち、書と短歌に親しみ、大学で倫理学と国史を修める。中学校長にまで至りながら、思わぬ弾圧で職と自由を失う——その苦難の底から、戦後の焦土に「倫理運動」を興しました。以下は、その足跡をたどる略年表です。西暦と年号、そのときの年齢とともにご覧ください。
生い立ちと修学 ── 明治・大正
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1892明治25 0歳
5月5日、福岡県上毛郡合河村天和(現・豊前市)に、父・半三郎、母・ぎんの四男として生まれる。
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1908明治41 16歳
尋常小学校准訓導の免許を取得し、岩屋尋常小学校の代用教員となる。
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1909明治42 17歳
福岡県立小倉師範学校に入学。
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1910明治43 18歳
この頃、西川萱南に師事して書道に打ち込む。
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1913大正2 21歳
小倉師範学校を首席で卒業。築上郡八屋尋常小学校に赴任。
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1916大正5 24歳
広島高等師範学校に入学。西晋一郎博士のもとで倫理学を学ぶ。
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1920大正9 28歳
広島高等師範学校を卒業し、福岡県立築上中学校に赴任。神崎キクと結婚。
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1921大正10 29歳
長男・竹秋が誕生。のちに碑文を起草し、45年にわたって倫理運動を率いることになる。
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1923大正12 31歳
福岡県立中学明善校に転任。
研究と試練 ── 昭和前期
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1925大正14 33歳
長崎女子師範学校の教諭として転任。翌年、首席教頭となる。
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1928昭和3 36歳
次男・豊樹が誕生。
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1929昭和4 37歳
広島文理科大学に入学し、国史学を専攻。西晋一郎博士と再会し、ふたたび倫理・哲学を学ぶ。
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1932昭和7 40歳
広島文理科大学を卒業。
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1933昭和8 41歳
上杉一甫に短歌を師事。
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1935昭和10 43歳
財団法人中野中学校の校長となる。
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1937昭和12 45歳
中野中学校校長を退職。当時所属していた教団の幹部とともに不敬罪で検挙され、教団は解散に至る。
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1938昭和13 46歳
仮出所後、「秋津書道院」を創設し、機関誌『秋津書道』を発刊。書に沈潜する日々を送る。
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1942昭和17 50歳
東京・中野区に転居し、研究に没頭する。
倫理運動の創始 ── 戦後
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1945昭和20 53歳
創始「夫婦道」の稿を起こし、倫理運動を創始する。終戦の年。
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1947昭和22 55歳
武蔵野市境に転居。「新世会」を結成し、本格的な生活改善運動を開始。『文化と家庭』を創刊し、上野駅などで街頭頒布を行なう。
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1948昭和23 56歳
「新世会」が社団法人の認可を受ける。『無痛安産の書』刊行。
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1949昭和24 57歳
機関誌を『新世』と改題。武蔵境の自宅で早朝講座(朝の集い)が始まる。第1回倫理講演会を開催し、代表作『万人幸福の栞』を刊行。
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1950昭和25 58歳
各地の講座・講演会、書道と短歌の指導に力を注ぎ、純粋倫理に関する論文を多数発表。
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1951昭和26 59歳
永眠『育児の書』『学童愛育の書』『作歌の書』『人類の朝光』を刊行。本部を神田・一ツ橋に移し、「新世会」を「社団法人倫理研究所」と改称。12月14日、武蔵境の自宅にて永眠。
本年表は、一般社団法人倫理研究所「丸山敏雄ウェブ(クロニクル)」掲載の情報にもとづき、本サイトが記述を整えたものです。詳しい生涯については、同ウェブおよび『丸山敏雄伝』等の関連書籍をご覧ください。